競争と萎縮の経済学(長いよ)

会社の書庫にこんな本があったので、読んでみた。

狂騒と萎縮の経済学

狂騒と萎縮の経済学

著者は後に「日本の失われた10年」を書いた原田泰氏。当時の肩書きは郵政省郵政研究所第二経営経済研究部長。
帯には「金融政策の観点からバブルの発生と崩壊を詳細に分析! バブル崩壊で露わになった日本企業の問題点を指摘し、日本経済復活の指針を提言する」と書かれている。ちなみにこの本が出版されたのは1993年。もう15年前の話である。

この本に興味を持ったのは、今のアメリカの雰囲気がバブル崩壊直後の(そしてバブルが崩壊したということにはまだ気づいていなかった91年当時の)日本に似ているから。各種経済指標は明らかに悪くなりつつあるのに人々の財布はまだまだ緩く、長く暗いトンネルがやってくると思っている人はほとんどいない、という状態。

中身

まずは帯に書かれている通り、教科書的な経済学の話から入っていく。結論は簡単で「金融政策の誤りが過剰流動性を生み、金余りの中で銀行、企業、家計部門が踊った」「そして再び金融政策の誤りで過度な金融引き締めを行ってしまった」ということ。

次に企業や家計部門がどんな行動をとったのか、という分析。

多くの人々が実力以上の所得上昇を錯覚し、楽観的になって過大な消費をしてしまった。企業もまた先行きの需要を楽観的に考えて過大な設備投資をしてしまった。
(P27より)

今回の不況が通常の不況と違うのは、二度と回復しない需要がある、ということである。
(P35より)

さらに、銀行や各種金融機関が取った行動。

日本の銀行は、いまや担保が流せない。担保の掛け目を甘くしすぎて、競売にかけても元金が戻ってこないからだ。
(P61)

銀行が1、2年儲けるのは簡単である。危ない相手に貸せば、1,2年は高い利子を払ってくれるだろう。しかし、焦げ付いたら1,2年の高い利子などなんの意味もない。
(P62)

銀行界では、資産の質を改善する願望がきわめて強いが、それには危険が伴うものであると思う。収益性目標を達成するための近道を探すこと自体がたぶんに、銀行経営に関する最大の危険である。
(P77)

興味深い点

  • 91年前半まで労働市場はひっ迫。92年になって、急激に失業率が増加。→92年入社は「バブル入社組」とか呼ばれてたな。
  • バブル崩壊」という言葉は90年代後半までメディアに登場しなかったし、本格的に使われだしたのは92年。バブル崩壊に気づくどころか、バブル経済であったことを認識するのに1年かかっていたのである。

その後を予見できなかった部分

この本が出版された93年といえば既に不況が深刻化していた時期だが、この本で唯一といってもよい「間違い」は第二章37ページあたりであろう。

  • (景気の)回復は住宅から始まることが期待される。 (P37)
  • 住宅価格があと2割安くなれば、確実に「買い」が入ると考えられる。
  • (やや悲観的な分析をした上で)回復は94年後半からのように見える。
  • 92年を含め、三年間低成長が続くというのは最悪のシナリオである。

→現実には景気回復は21世紀に持ち越されたし、まだまだ力強いとはいえない。

懐かしい話・単語

印象に残った部分

P68:

そもそもサービス残業とはわけのわからぬ制度である。本来の給与を低くしておけば残業手当を満額払っても銀行の利益も減らず、行員の待遇も変わらず、労働省に怒られる必要もない。銀行の高い給与が製造業経営者の怨嗟の的になっているのだから、見栄で給与を高く見せる必要もないだろう。

P139: 後に日銀総裁を勤めた深井英五の言葉

一時的の原因から起こる預金取り付けの如き場合(信用リスクがなく流動性リスクのみの場合)には、特別貸し出しによって破綻を防止するのが妥当であり、またそのために大なる弊害を残すこともなくしてすむだろうけれども、一般経済情勢の大に変化する時において、救済に救済を重ねて行けば、容易に止まるべきどころを知らない。ついには財界の救済を日本銀行の主たる仕事とみなすが如き感想を世間に生じしむるにいたった。そもそも救済を続けるのは恥づべきことであるはずなのに、捁として之を要望するものあるが如き風潮になった。

p143:

1920年代前半、銀行の救済がなされなかったら、銀行の倒産は単なる倒産ですんだろう。ところが、銀行が救済されつづけたがゆえに、それがどうにもならなくなったときには、経済システム全体をも揺るがすような悲劇となったのである。

P174:

不良貸付先に追い貸しすれば、不良債権額は複利で増えていくが、バブルが再燃しないかぎり担保の処分価格はそのままだ。したがって、不良債権額と担保の処分価格の差である、回収不可能な債権額は雪だるま式に増えていく。

感想

読めば読むほど、アメリカの現状とだぶってしまう。そしてこの本の後半にも書かれているが、実は1920年代の恐慌直前とそっくり、と言ったほうが良いだろう。

  • 収入レベルを考えない無謀なローン(サブプライムやOption ARM)
  • 頭金なしで借りる無謀な不動産購入者
  • 頭金なしで貸す無謀な貸し手
  • 債権の証券化という「合法だけど、リスクを増やしかねない手段」で目先の利益を追求し、結局大損しちゃう金融機関
  • 債券保証という、本来なら地道に稼ぐべき業者が目先の利益に踊らされて大火傷をしている現状
  • 信用リスク(Solvency)と流動性リスク(Liquidity)をごっちゃにしている中央銀行
  • 救済されるのが当然と思っている金融機関


あと、この本では「住宅価格があと2割落ちれば需要は確実に回復する」と予測していたが、実際にはそうならなかった。デフレになってしまったため、「収入がさらに下がる」という予測が購入意欲を削いだためである。

アメリカでも既に「住宅市場の底はいつごろか」という議論が始まっているが、経済がデフレ入りしていくという前提で議論をしている人は少数派だ。

日本の90年とちょっと違うのは、「バブルが崩壊した」ということを国が認識していること。なので、政府の対応も比較的すばやい。問題は...大統領選挙と重なってしまうため、へんてこりんな政策が繰り出される可能性が極めて高い、ということである。