無菌培養は解決にならない
日本の新聞やテレビを見ておどろいた。いじめ問題一色。
でも、その対応方法には疑問を持たざるを得ない。「いじめのない環境」という無菌培養では問題の先送りにしかならないからだ。
そもそも子供は残酷なのである。
「弱いものいじめ」という言葉は、自分がガキの頃には存在していた。つまり、「いじめ」は当時からあったわけだ。でも、いじめによる自殺という社会問題はなかった。いじめられて不登校になる子もいたけど、稀だった。
そして、いじめる側といじめられる側には、それなりの傾向があった。
- いじめる側
- 金持ち
- 腕っ節が強い
- いじめられる側
- 貧乏
- 弱い(身体もしくは精神)
- なんか違う(デブ、チビ、ハゲ、方言、吃り、、、)
自分は身体が弱くていじめられる側だったけど、そこには一定の節度があったのを覚えている。泣いたら、そこまで。それ以上いじめても、いじめる側はおもしろくなかったのだろう。
こうして、いじめる側は節度を覚え、いじめられる側は耐性をつけていく。これが昔の子供社会だったはず。
これが変質したのは、「無菌培養」の結果なんじゃないかな。すなわち
- いじめはだめ。
- 喧嘩もだめ。
- みんな仲良く、平等に。
いわゆる理想郷だけど、こんな環境では、肉体的な痛みも精神的な痛みも理解できず、精神的耐性が低い人間しか育たない。しかも、子供は本来残酷なのである。自分達と異質な(そして弱そうな)子を見つけたら、その子を排除しようとするのは当然であろう。排除する側に節度がなかったら? 排除される側に耐性がなかったら? 「無菌培養」こそが昨今のいじめ問題の本質ではなかろうか。
この「無菌培養」という本質的な問題を見ずに、表面的にいじめをなくす対策をしても、何も解決されないであろう。そんなのは無菌培養の延長でしかない。いじめる側といじめられる側の構図がそのまま社会に持ちこまれるだけでしょ。 [*1]
あ、別に学校でのいじめを奨励しているわけじゃないよ。 ガキの頃の、シャレで済むうちに、いじめや取っ組み合いの喧嘩を体験させておくべし、と言ってるのだよ。みんな仲良く平等、なんて社会はあり得ないということを、ガキの頃から体験させるべし、と言ってるのだよ。
つまり、学校や幼稚園に入る前からの課題。これは学校の問題ではなく、家庭の問題だ。[*2] なのに、いじめ問題=学校の問題、とする風潮には納得がいかない。
とはいうものの、現時点で「無菌培養」されてきた子供達がたーくさんいる現状はどーしたらいいのかねー。自ら命を絶つ子も可哀想だけど、容赦ないいじめに鈍感な子達が社会に出て親になるという未来は恐しいものがあるよね。
現時点での対策は戸塚ヨットスクールくらいしか自分には考えつかない...