空気もの

"「空気読め」とは"を読んで思い出した本をいくつか。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

上記ブログでの

これって、非常に問題。みんながお互いの顔色を窺いあう練習を小学生からしているわけだ。いやな社会ですね。

ってのは、この本(「空気」の研究)が出版された1983年よりもっともっと前から存在していたのね。まあ、読んで損する本ではなかったけど、「空気」と「日本社会」とを結びつけようとしていたのはいただけない。なぜならこの「場の空気を読む」ってのは、自分が知るアメリカ社会にも存在するから。PC(Politically Correct)なんてのはその一環でしょ。

「空気」と似ているけどちょいと違う話。自分が社会人になった頃ブームになっていたのが「気くばりのすすめ」ってやつ。著者はデカいツラしてNHKの番組で気配りの重要性を問いていた。

気くばりのすすめ―心のある社会をつくる「思いやりの技術」

気くばりのすすめ―心のある社会をつくる「思いやりの技術」

いじめの温床となっているのは、むしろこの「気配り」ではないかな。「気くばりできる人=いい人」「気くばりできない人=ダメな人」という価値観が育成されてしまったのは事実でしょ。その「ダメな人」に攻撃の矛先が向く、と。これは小学校の教室に限らず、仕事場でも、オフィスの給湯室でも、あるいはお母さんたちの公園ネットワークでも存在していたはず。そういう人に育てられた子供達が同じ文化を継承するのは当然の流れ。

でもその「気くばり」ってのは、実は「遠慮」と深い関係があるわけで。これは「空気の研究」に書かれているとおり。遠慮しない=恥、という背景を共有している→相手に恥をかかせないために「気をくばる」必要がでてくる。この循環を立ち切ることができれば、いじめやブログ炎上はなくなるはず。つまり

  • 遠慮せず堂々と発言・行動することは恥ではない
  • 相手が遠慮したら「ああ、そうですか」といって一切気くばりしない

ということ。これはこれで荒んだ社会かも(笑) でも、中島義道氏の本を読んで賛同できる人なら、たぶん生きていけるはず。みんなナイーブすぎるんだよ。

うるさい日本の私 (新潮文庫)

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人生を“半分”降りる―哲学的生き方のすすめ (新潮OH!文庫)

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私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)

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