お叱りに対する反論

昨日の書き込みに対してメールでお叱りをもらった。一件だけだけど、この場を借りて反論を。

柳沢発言の内容

彼の言いたいことは少子化対策のゴールであり、出生率をあげてもらおうということ。社会福祉とか国保出産祝金とかは手段であって、目的はあくまでも出生率の向上。そして子供を産める条件を備えた女性の数は有限。ならばその有限の人達が効率を上げるしかない。この内容に反対する人は、少子化促進ないしは移民増加を容認していることになる。これについては異論はなかろう。

柳沢発言の表現

お叱りのメールや、その辺のブログを見ると女性は子供を産む機械と表現したことが問題になっているらしい。

報道したのが朝日なので、柳沢氏が本当に「女性は子供を産む機械」と言ったのかどうかは微妙ではあるが[*1]、「表現に問題あり」として当該記事を流したのであろう。[*2] さもなければ朝日は日本の少子化か移民増加を望んでいることになる。

「与えられた出産可能年齢の中でできるだけ効率良く子供を産んでほしい」ということは「生産性を上げよ」ということであり、それは「8時間という労働時間で、できるだけ多くの製品を作ってほしい」と言ってる事と本質は同じだ。柳沢氏がどう言い回しを変えようが、「女性を工場のラインと同一視している」という批判が出るのは必至であり、氏もそれを理解した上で「機械のように言って申し訳ない」と言い訳していたんじゃないかな。

大臣という立場

出産の義務が憲法で定められているわけじゃないから、出産するかしないかの判断は各個人の自由。にも関わらず、出生率を上げなければならないという責任を負わされた厚生労働大臣は国民にお願いするしかない。そしてどうお願いしようが、そこに批判が生じるのは確実。大臣って割の合わない仕事だと思うよ。

お叱りメールのポイントは「大臣という立場の人があんな発言をするのは不適切」ということなんだけど、それは朝日が問題にしたのと同じ「表現方法」を問題にしているのであろう。でも、大臣って聖人でなければならないのだろうか? 今の憲法では、大臣は「総理大臣が指名して、天皇が承認する」という手順で決められる。つまり、あなたも(私も)日本人なら大臣になる可能性があるわけだ。そして大臣規範なんてのを決めてやらないといかんくらい、大臣ってのに求められる資質は「人並」でいいみたいなんだな。

ならば当然、失言や問題発言の二つや三つ(あるいは100個や200個)くらいあるでしょう。そんなことに一々目くじら立てず、言ってることの本質を評価してやるのが国民の仕事というものじゃないかな。表現ではなく、中身だ。

今回の柳沢氏の発言は(朝日の報道だから発言内容は実際と異なる可能性はあるわけだけど)出生率向上の本質を突いたという意味では評価できると思うよ。[*3] ただし、表現方法には問題があった。でも、誰にも納得がいく表現方法なんてないわけよ。「女性の生産性」と表現したところでで、誰かが腹を立てるのは確実なわけよ。

例によって...

どう表現しようが誰かケチをつける。でも、そこに絶対的な基準などない。「大臣としてあの発言は許せない」というのは、結果的に(日本国憲法が保障する)表現の自由を否定していることと同じだ。という話をわかりやすく解説している本。他人の表現を批判する前にこれを読もうよ。特に朝日の記者さん達にお勧め。

表現の自由を脅すもの (角川選書)

表現の自由を脅すもの (角川選書)

*1:自分は別の表現だったろうと推察する

*2:表現の自由があって活動を保証される新聞記者が、政治家の表現を批判するのもキチガイじみてるけどね...

*3:自分は「社会福祉が進むほど出生率は下がるのではないか、と思っている