異動と引き継ぎ

4月に組織変更や人事異動を実施する企業は少なくないはず。

感心

日本の組織を見ていていつも感心してしまうのは「引き継ぎ」をすること。理想をいえば前任者の脳味噌の中身をダンプして後任の頭にロードすればいいのだけど、現在の技術ではなかなか難しい。映画Johnny Mnemonicによれば2021年には可能になるらしいけどね。

伝承の難しさ

「中村流顧客対応道」みたいな流派を作って、後任者には徹底的な訓練をして、「これでよし」と思うまでは引き継ぎを許可しない、とかいうのならともかく、異動での引き継ぎなんて、あってないようなもんだ。

結局、引き継ぎは文書か口頭による伝承となる。正しい情報が欠落したり、誤った情報が混入する可能性は排除できないだろう。そして時間が短い分、印象に残る部分が優先的に伝承されちゃう。「お客様には腰の角度を50度曲げて、ご挨拶しましょう」みたいな。50度ってのはかなり衝撃的だから、これは確実に伝承される。

決定的によろしくないのは、「なぜ、50度曲げるのか」という理由は伝承されないことなんだな。

そうやって形骸的な伝承が数世代続くと、そこの仕事も形骸化しちゃう。

  • なぜ、この定例会議は存在するのだろう?
  • なぜ、この報告書を作成する必要があるのだろう?
  • なぜ、このおっさんは課長席に収まっているのだろう?

異動は、こういう謎を解明する絶好の機会なんだけどね。

引き継ぎのない国

自分の知る限り、アメリカは引き継ぎという概念が強くない。長年勤務するのが珍しくない大企業(シリコンバレーだとロッキードとか)は別だろうけれど、転職していくのが当然の所では、辞める人は唐突に辞める。朝、普通に会社にやってきて、午後には「俺、辞めたから」と笑って去っていく。会社はそれを引き止める権利など持ってないから、その人が抜けた穴は誰かが埋めなければならない。引き継ぎなしで、だ。

引き継ぎがないことで、一時的には生産性は落ちる。でも、後任者は新鮮な発想を仕事場に持ち込んでくれる。突拍子のないアイデアが生まれる土壌は、このあたりにも原因があるのかも。