Crazy Like Us: The Globalization of the American Psyche by Ethan Watters

Crazy Like Us: The Globalization of the American Psyche

Crazy Like Us: The Globalization of the American Psyche

背景

自分は医者ではないし心理学者でもない。ただ、これだけ周囲で「心の病」に関する話題を多く見かけるようになると、その背景に興味を持たざるを得ないのも事実だ。デフレ、不況様々な原因が囁かれているし、メディアやネット上で医者や学者が何か語っていれば「ほうそうなのか」と納得してしまうこともある。

このCrazy Like Usは、たしかComedy Centralの「The Daily Show」で紹介されていた作品である。著者はEthean Watters女史。30分番組のさらに数分間という短い時間であったが、日本における「うつ病治療薬市場」の驚異的な伸びが紹介されていた。そしてそれがいかに悲しい事実なのか、ということも。

機会があったら読んでみようと思いはしたが、書店で実物をみてげんなりした。分厚い。しかもさっと見ただけで中身には医学用語が飛び交うことがわかる。そういうこともあって敬遠していたが、Amazon Kindle購入後に気が変わった。Kindleには英英電子辞書が内蔵されており、知らない単語にカーソルを合わせればその説明が画面下方に表示される。この機能があれば、なんとか読めそうだと判断し、購入した。和書に比べれば圧倒的に読むのは遅かったが、なんとか読み終えたので感想などを書いてみる。

なお同書には引用論文の紹介も掲載されているが、入手する時間も気力もないのでそれらの検証はしていない。その辺は許しておくんなまし。

構成

本書における一貫した課題は「心の病の診断・治療基準を、国や地域の文化背景を無視して世界統一して良いのか?」という問いかけである。その課題を検証するために、著者Ethan Watters女史は各地域を訪問し、実際に現地の精神科医あるいは患者と共に時間を過ごし、現代の精神医学が抱えている課題を一つ一つ整理していく。

本書は以下のような構成が取られている。

  1. 香港における拒食症
  2. 津波が襲ったスリランカにおけるPTSD
  3. アフリカ・ザンジバルにおける精神分裂症
  4. 日本のうつ病

以下、各章で何が語られているのかをまとめてみる。

一章: 香港における拒食症

英国からの返還を間近に控えた香港。そこである日少女が「拒食症」という当時の香港では聞きなれない病気で倒れる。そして、その事件をきっかけに香港では女性の拒食症が急増していく...

拒食症というのは世界的に見ても20世紀前半には稀だったらしい。それまでの女性の心の病は「ヒステリー」が主であった。それが拒食症に置き換わっていく。それも当初は欧米という女性の社会進出が進んでいた地域が主流で、欧米で発達した精神医学では「成熟していく女性が太りすぎを拒絶する過程」という説明がとられた。だが、まだ儒教の影響が強く残っていた香港ではそのような背景は説明がつかなかったし、倒れた少女も拒食症に陥った原因はまったく別なところにあったことを認めている。にもかかわらず、香港メディアはこの拒食症を大々的に取り上げ、それと同期するように香港女性の拒食症は急増する。その拒食症も当初は食事を拒絶するのが主だったが、英ダイアナ后の「食べて吐く」拒食症が報道されてからは、同様の病状が主流となっていく...

この章での要点は

  • 心の病は確かに存在する。だが、その症状がどのように出現するかは時代と地域で異なってくる。(症状のプール)
  • 報道などでその症状に注目が集まると、その症状を訴える人が増える。ただし仮病ではない。
  • 時代と地域で異なる症状に対して、統一された治療方法を適用してよいのか?→問題提起

二章: 大津波が襲ったスリランカにおけるPTSD

スマトラ沖大地震とそれが引き起こしたインド洋大津波。その大きな被害を受けたスリランカには被災直後から各国医療援助団が急行した。そして、精神医学研究者も現地に飛ぶ。

心のトラウマPTSD。そのPTSD治療を研究する人たちがスリランカに飛んだのは、そこに膨大な数の研究対象があると判断したから。だがそこでは意外な壁が立ちはばかる。言葉の壁と文化の壁だ。

言葉の壁とは、西洋精神医学には存在するが、現地の言葉にはない概念のこと。PTSD診断には本人への聞き取り調査が必須なのだが、その問診を現地語に訳せない。スリランカ出身の精神科医もいたが、現地の医療関係者は圧倒的に数が少なく、その問診時点で苦戦が始まる。やがて、その問診は現地語に置き換えられていくが、その過程で問診方式が抱える重大な課題も明らかになる。ある精神科用語が平易な言葉で表現され理解されるようになる過程で、被験者はその病気の存在を知り、その問診にYesと答えればどういう結果につながるかを理解してしまっている、ということである。すなわち、問診方式は誘導尋問の要素を抱えていることになる。

文化の壁がもたらす問題は広範囲に渡っている。被災前から長引いていた内戦で苦しんでいたスリランカ国民は精神的に鍛えられていたわけで、欧米PTSD診断が期待していた症状がそのまま当てはまらないようであった。症状が変われば当然治療方式も変わるべきである。敵から隠れてじっと身を潜めることに慣れていた人達にとって、戦争とは視覚的なものではなく耳から入る悲劇であった。そういう人達に欧米PTSD治療では一般的な「会話・対話」を強制すると、むしろ症状が悪化することもある、と。

二章の要点は

  • 「時代や地域で異なる症状に対し、欧米基準で統一された治療を持ち込むことはやはり正しくないのかもしれない」
  • 「心の病気」を研究する人達と、そこに資金を提供する製薬業界の関係も紹介されている。

三章: アフリカ・ザンジバルにおける精神分裂症

アフリカはタンザニア沖にある小国ザンジバル。アフリカの文化とイスラム文化が時に融合し、時に反目を生む国。小さな国土、小さな家、だが大家族。様々な音が途切れないにぎやかな国。

三章ではこのザンジバルにおける精神分裂症の治療を取り上げている。そもそも治療といえるのかどうかもわからない。イスラムと同居して、土着的信仰が色濃く残っているので、精神分裂症を「死霊の祟り」として一種の諦めをもって見ている面がある。だが、その「諦め」は患者に対する社会的期待を下げる効果をもたらし、結果として患者の症状の過度な進行を抑えているのではないか、という説を紹介している。

対する欧米では、「個の自立」こそ社会が期待しているものであり、分裂症患者に対する偏見は根深い。そして「偏見をなくそう」という運動と共に、その偏見も強まっていくという現象も紹介されている。偏見が強まれば、患者は多大な社会的圧力を感じ、その症状は悪化していく、とも。

土着的祈祷から対岸のタンザニアにおける欧米的治療、そして(ザンジバルの人達には理解不能な)アラビア語でのコーラン暗誦という過程を経ながら「心の安らぎ」を探求するザンジバルの分裂症患者たちがこの章の主人公。

三章はこれまでの章の再確認ともいえる。

四章: 日本のうつ病

Ethean Watters女史がこの章を中心に据えたかったのであろうことは疑う余地がない。実際、この章だけで切り出しても一冊の本にできそうである。これでもか、というくらい一章から三章で紹介されたような逸話が繰り返される。

話は西暦2001年に京都で開催された「学術会議」から始まる。カナダからファーストクラス機+最高級ホテルのスイート宿泊費まで全て学術会議側持ちで招待された精神医学研究者。スポンサーは大きな財団。そこで議論されたのは日本における「うつ病」。正確には「日本におけるうつ病治療薬市場の拡大戦略会議」とでも呼べる会議であった。日本人研究者も招待されており、彼は90年代以降のうつ病・自殺者増加など、うつ病治療の重要性を訴える。だが招待されていたのは研究者だけではない。マーケティング専門家の姿も。

日本には、欧米的な「うつ病」に相当する病気の概念がなかったことが明らかにされる。もちろん、日本にも「うつ病」は存在した。だが、その診断基準は欧米のそれに比べると非常に重いもので、欧米なら「きわめて重度のうつ病」ともいえるものであった。欧米における「うつ病(Depression)」は、その後日本でも流行った「心の風邪」とでも言えるものであり、かつての日本では病気とは思われなかったのである。なつかしの歌謡曲で「悲しさ、悲しみ」を取り上げたものはいくらでもある。そういう歌を口ずさみ、同調してしまうような状態は欧米では「うつ病」と診断されたわけである。*1 欧米的診断を持ち込めば、日本はうつ病治療薬(SSRI)の大きな市場となることが期待されていた。それを拒んでいるものは何か、どうすればその壁を取り払えるか、が京都で議論された。

日本にも「症状のプール」はあった。開国以降、日本でも心の病の流行は繰り返される。まずは「精神衰弱」。これは明治時代の話。その精神衰弱は、初期のうちは高度な職につくインテリ層の病気と考えられたが、やがて新聞などが取り上げるにつれ、あらゆる階層に広がっていく。次の波は「ノイローゼ」。これは昭和の話。そして、その後は拒食症やらPTSD。メディアで取り上げれば取り上げるほど、その症状を訴える人が増える、という著者の主張が繰り返される。

だが、うつ病治療薬を大々的に売るには、いくつかの起爆剤が必要であった。一つは宣伝。薬事法により、テレビでの効果宣伝は厳しく制限されていた。その回避策として、インターネット活用が紹介されている。うつ病の存在を宣伝するサイトの登場。例えばutu-net.comといううつ病で悩む人達のためのコミュニティサイトがあるが、この設立にはGlaxoSmithKlineが関わっている。これらのサイトには簡単に答えられる問診票があり、それに回答することで簡単にうつ病の可能性を診断できる。また、うつ病はもっと身近な病気であるという宣伝も重視された。「心の風邪」という標語である。そして...著者はあくまでも事例としてしか紹介していないが...雅子様うつ病治療。これは非常に衝撃的であったが、雅子様うつ病治療薬を処方した医師こそ、四章冒頭で取り上げられた会議でうつ病治療の重要性を訴えていた日本人医師Yutaka Onoなのである。結果的には、雅子様の病気が日本におけるうつ病治療薬拡販の起爆剤になっている。

こうして日本はアメリカに次ぐ規模のうつ病治療薬市場になったわけであるが、果たしてこれは何だったのだろうか、というのがこの本の最終的な問いかけになっている。うつ病が注目されるきっかけとなったリクルート社の過労死事件。だが、その後の長引く景気後退で日本の過労体質はほとんど改善されていない。そういう中で、かつては病気とも思われていなかった症状を示す人達に「治療薬」を飲ませて、何が変わるのだろうか。自殺者は減ってないではないか。

表題Crazy Like Usの意味を改めて考えさせられる。

四章では他に以下のような話題が取り上げられている。

  • 治療薬の効果。実はプラシーボとあまり変わらないという報告。その報告が製薬会社の中で握りつぶされている、というお話。
  • 治療薬の副作用。自殺願望の増加、という怖い副作用が報告されている。これは健常者に飲ませても観測されている。若い人ほど顕著。
  • 研究者と製薬会社の関係。大学の予算が限られている以上、製薬会社から研究費用を捻出してもらうこともあろう。だが、そのために研究結果にバイアスがかかるのではないか、という懸念。

以下のようなお話で四章は終わる。京都会議に参加していた日本人医師の一人、Osamu Tajima氏へのインタビューだ。その後彼は行き過ぎたSSRI投与に警鐘を鳴らす側に回っている。

  • 心の風邪、という表現は軽すぎた。心の癌、くらいがよかったかな。」
  • 「確かに研究費用を(製薬会社から)いただいている。我々は売春婦みたいなものだ。 ものすごく安っぽい売春婦だけどね。」

所感

難しいね。

最近話題のホメオパシーを思い出させる話。あれはインチキ薬を飲ませて病気を治しましょう、というお話だけど、こちらは由緒正しい治療をほどこしちゃんとした薬を飲ませて本当に病気は治るのか、という問いかけになっている。そして、その問いかけはさらに「心が正常って、どういうことなの?」という難しい問題にぶちあたる。個を大事にする欧米キリスト教社会 vs 家族や地域などの集団と個の関わりを重視するその他地域。前者が「甘え・未熟」と判断する状態が、後者は「あたりまえ・大人の対応」と判断されることもある。こういう中で欧米社会基準で定められた診断基準をOne Fits to Allで適用していいのか? 適用できないのなら、その後の「治療」も変わってくるのではないか。 と言われると、自分は「そうかもしれんのぉ」と思ってしまう。

そもそも心というのは肉体の一部なんだろうか。脳の中で化学物質が偏っていると、それが心の病気になるのだろうか? 心の病気になるから、脳の中の化学物質が偏るのだろうか? わからんです。

あと気になっているのが「症状のプール」という話。心にストレスが溜まっている人は、話題になっている症状を無意識に選択しちゃう、というやつ。20世紀初頭までの女性はそれがヒステリーだったけど、拒食症に移行していった、とか。明治の日本人は精神衰弱で昭和はノイローゼ。いずれもメディアで取り上げると共に患者が増え、メディアが忘れると患者も減る。ってことは最近の「いじめ」とか「リスカ」とか「うつ病」とか「自殺」とかって、まさに「症状のプール」そのものじゃないかと心配しちゃう。もちろん、そういう事件をメディアが取り上げないわけにはいかんから、今後も引き続きこういう暗い話題が続くのかな、とか。あるいはそういうのが恒常的になってメディアにも取り上げられなくなったらみんな急に治っちゃうのかな、とか。

興味ある人にはぜひ読んでいただきたいです。しんどいけど。

*1:DSM-IV導入で診断基準が変わった結果、うつ病と診断される患者は急増した。それに輪をかけて、症状のプール効果がでているわけだ