Starbucks会長のメモ

StarbucksGossipというサイトに、Starbucks chairman warns of "the commoditization of the Starbucks experience"という「会長のメモ」が掲載されている。店舗を急激に増やしすぎて利益を追求しすぎた結果、ブランドイメージをおろそかにしてしまったのではないかい? という問いかけをCEOら経営陣に投げたメモ。勝手に意訳しちゃう。

皆さんは2008年の事業戦略を立てていることだろうが、私の考えをちょっと聞いてほしい。

過去10年、店舗数を1000弱から13000以上に急拡大させるには色々な決断が必要だったけど、その結果私達はStarbucksのブランドイメージを薄めてしまったのではなかろうか。

もちろん、これらの個々の決断はその時々では正解だったし、ブランドを傷つけているようなことはなかった。でも、これらを積み上げてみると、ブランド力を落とすことにつながっていたわけだよ。

例えば全自動のエスプレッソマシンを導入したことで、お客様を待たせる時間を大幅に短縮し、サービス効率を高めることができた。その一方で、旧式のLa Marzoccaのエスプレッソマシンを使っていた頃のなんともいえない雰囲気を失ってしまったわけだ。

新型エスプレッソマシンには、高さという問題もある。昔はバリスタが気合を入れてエスプレッソを煎れる場面をお客様が見ることができたけれど、新式のマシンでは背が高すぎてお客様と厨房の間には文字通り壁ができている。こういう店が何千もあるのだよ。

北米の各都市や、各国の市場において焙煎したての新鮮なコーヒー豆を供給する必要がでてきてからは、密封式のパッケージを採用した。これも個々の判断としては間違ってはいない。でも、密封式パッケージになってから、お店の中に漂うコーヒーの香りを失ってしまったわけだ。焙煎したてのコーヒー豆を供給することができるようになった代わりに、香りという言葉では表現しようのない看板を失ってしまった。以前は、お客様の目の前でコーヒー豆容器から新鮮な豆を取り出して、目の前でコーヒーを挽いていたのに。伝統と誇りを捨てて何を得たのだい? 

次にやったのは店舗のデザインだ。投資対効果を最大にするという意味では、店舗のデザインを標準化することは必須だった。結果は昔ながらのStarbucks魂を失った、温かみのある個人経営店と対極の位置にあるチェーン店だ。口の悪い人はStarbucksを「金太郎飴」と呼んでいる。もはや私達の取引先がコーヒーにかけている情熱のことは伝わっていない。お客様の中にはStarbucksがコーヒー豆を焙煎していることをしらない人がいるのではないか、と私は心配している。
(あとは略)

確かに10年前のStarbucksは人がいっぱい並んでいた。豆を挽いて、エスプレッソマシンに詰めて、コーヒーを抽出して...というのを客ごとに繰返していたから、そりゃ遅かったわけだ。Peet's Coffeeは今でも客ごとに豆を挽いているから、混雑時はかなり待つことになる。でも、その分店の中はコーヒーの香りで一杯だ。そして、自分はStarbucksでは抹茶ラテかホットチョコレートばかり頼んでいる。コーヒーならPeet'sのほうがうまいから。

上記「会長のメモ」が本物であることは、Starbucks広報が確認している。上場企業はともすると利益優先で効率重視に突っ走るけれど、結果として自身の存在意義を失うことにもなるよ、ということを会長さんは伝えたかったのかな。SOX法だ内部統制だと、トゲトゲした話ばかり聞いている昨今、なんかほっとさせられるメモであった。