サブプライム大学続き

http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20100917/1284731490

日米の就学支援制度を比較する際のお約束的資料(やや古いですが)「日米の主な政府奨学金制度(高等教育)」を一見すれば一目瞭然に分かると思うのですが、アメリカの公的な就学支援制度は、奨学金(scholarship)と学資ローン(student loan)の組み合わせで構成されています。ここが学資ローン(student loan)一本の日本の公的就学支援制度と異なるところです。このような制度の中の学資ローン部分のみを取り出して比較するのは(控え目にいっても)あまりフェアではないでしょう。

たぶんここで議論がずれている。

就学支援制度=公的一本として考えているid:logic_master vs 公的と民間があってもいい/あるべきと思っている私&Willy氏。日本でも民間に目を向ければ給付(返済無用)の奨学金はあるでしょ。米国でも公的のScholarshipはあるけど、学費全額免除はなかなか難しいと聞く。

州外から来る学生の場合、University California Berkeleyの学費・生活費は年間65,000ドルになるといわれているから、公的ローンでもやはり足らないだろう。結局は民間の高利学資ローンも借りることになる。ちょっと前に計算したけど、年利10%で25万ドル借りた状態で卒業したら、新卒即年収10万ドルの職につかないと生活は相当厳しくなる。

なぜこうなったのか?

それは大学の非効率な経営を許してしまうような奨学金(給付・貸与)の乱発があったからだろう。自分がサブプライム大学という表現を使うのは、その構造が住宅におけるサブプライムローンと非常に似通っているからだ。

  • 市場が飽和してくる。大学数に比べ生徒が少なすぎる状態。本来は大学側が経営努力するべきところ。
  • だが、大学側は政治に働きかけ、教育予算増加や奨学金制度緩和を実現させる。
  • 従来、経済的に進学をあきらめざるを得なかった層が進学できるようになる。
  • 門戸開放という意味では正しかったかもしれないが、大学の高コスト体質は改善されるどころか悪化したため、学生による「自分自身への投資」の回収は困難になる。

こうならないためには大学も、奨学金給付・貸与団体も「持続可能な」経営を心がける必要があるのでは。その面で国営・公営はどうしてもザルになりがちである。奨学金はいっそ民間に任せてしまうのも手ではなかろうか。企業がヒモになるもよし、NPO慈善団体がやるもよし。給付基準はそれぞれの団体に競わせれば、単純な成績重視に偏ることもないだろう。運動重視の奨学金団体があってもいいだろうし、一芸に秀でた学生を重視するもよし。

むしろ、国の資金は義務教育や高校までにつぎ込むべきではなかろうか。そこでは、もっと経済学や投資に関する実務的な教育も重視するべきだろう。「奨学金借りて大学行ったけど、返せるような仕事が無い」などと泣き言をこねるような状態で大学進学などを考えないようにするためにも。

追記

http://b.hatena.ne.jp/zakinco/20100917#bookmark-24953034

masayang氏はおそらくリバタリアンだから政府による介入はできるだけ減らそうという立場でしょう。俺は、政府の介入を認めて、政府の無駄をボランディアで監視する方が良いと考えます。

リバタリアンではなく、「Extremeな中道主義」とでも呼んでくれ(笑

大学が市場原理で動かないのはわかっております。なので国公立大学は必要でしょうし、それらは私立とは異なった存在意義・戦略で学生を預かって育てることには異存ありません。でも、民間(私立)でできるような教育するのなら、そういうのは私立に任せたほうがいいような。高級官僚育てるとか、民間ではできない国家レベルプロジェクトの研究する人を育てるとか、国立はそういう部分に特化しちゃっていいんじゃないですかね。