意思伝達手段としての文書作成
- 毎年3月と9月になると、毎日が非常に憂鬱になる。
- お仕事の報告書をまとめなければいかんのだ。
- お客様あっての仕事だから、報告はきちんとしなければいけない。
- が、この「きちんと報告する」ということをまじめに考えてみると、報告書作成に労力を費やしすぎるのは実に馬鹿げているのではないか、と思えてくるのだ。
- 当たり前だが、手抜き過ぎる文書は論外。何も伝わらない。
- かといって、様々な対象読者を想定し、上がってくるであろう「あらゆる質問を」考慮したような細かい資料を作っても...読む方が疲れちゃうのである。
- 最適点は「手抜き」と「詳細」の間のどこかにある。が、それがどこかはわからない。
- そして最適点であっても、書き手の伝えたい事全てが読み手に伝わる保証はない。
- だったら報告書はそこそこの内容で良いのではないかな。
- むしろ、読んでいただいた人がわからなかったこと、もっと知りたい事を気軽に質問でき、それに対して答えられる仕組を整備する方が大事ではないかと。
- もちろん、理想は人と人とが対話をしながら資料を説明する事なんだけどね。