品質の問題なのだろうか?

トヨタ問題で「そうだよね〜」と思う記事がCreative Commonsライセンスで公開されていたのでささっと翻訳。
原文はこちら→Beige Bites Back: Is Toyota Paying The Price For Building Dull Cars?

凡庸さの反撃: 退屈な車を作ったトヨタが払うツケ


私たちJalopnikは、過去一貫して「家電製品化」した自動車を交通問題への誤った回答としてこき下ろしてきた。そしてここ一連のトヨタ車リコール問題は、面白い問い掛けを提起してくれる: 「運転者から運転する役割を奪ってしまったら、車に何か問題が起きたときどうすればいいの?」



クルマの運転は、本来は様々な感覚に依存するもののはずである。視覚、聴覚、嗅覚、そして手触り。これらを総動員して重要な、そして時に楽しみながら、運転という作業を行う。あなたの目は周囲を見渡し、耳はタイヤが路面と接触する音を聞き、鼻はブレーキが焦げる匂いを嗅ぎとる。そして車がカーブを回るのをあなたは「感じ取る」のだ。かつては、普通の人がこれらの感覚を動員して車の故障を発見し、時には修理したものだ。自分では修理できない場合であっても、修理工場に持って「なんかここがおかしいみたいなんだけど」と言えば、話が通じる時代があったんだ。



だけど、この二十年くらいの間に、私たちが持っていたこれらの「感覚」は車の各種検知器に奪われてしまった。電気式検知装置が、運転者の「感覚」に取って代わってしまったのだ。車線逸脱防止システムがあるから、もはや隣の車線を見ることは亡くなった。エンジンの音を聞くこともなくなった。車自身が聞いているから。車がエンジンの異音を検知したら、警告灯がついて運転者に知らせるだけだ。最近の運転者はタイヤやサスペンションの限界内で車を制御することも覚えなくなった。電子姿勢制御システムが全部面倒見てくれる。



原理としては、車がこういう作りになっていくのは避けようがない話だ。そもそもの車の存在意義は、きれいで、安全な輸送手段を提供することなんだし。そうやって考えると、車を支える技術がどんどん進化して行くというのは必然の結果と言える。電子制御式差動装置や電子制御式エンジン管理などのおかげで超高出力のエンジンを搭載した車が公道で走れるようになったことがその証拠だ。



でもね、Jalopnikとしては、それでもなにかが間違っていると思うのだよ。



その問題というのは、車と人間の接点を弱めてしまうことから発生しているのではないかと。そして、この点に関して言えば、トヨタは他のどの自動車メーカーよりも罪が重い。豊田章男CEO自身、自社製品には「わくわく感がない」と認めているではないか。試しにトヨタ車に乗ってみるが良い。カムリでもいい。カローラでもいい。トヨタ車がいかに面白くもなんともないか、ということに感嘆するはずだ。300マイル運転して、山道を走って、何を運転していたかを忘れてしまう。そんな感じ。



運転者の感覚を押さえ込もうとすると、多くの運転者はそれに従うものなんだな。「操作系からのフィードバックはなし」「ゆっくりは良いこと」という思想で作られたプリウスは、運転者と車との接点を切り離した「オン・オフ」の選択肢しか提供しない代物になってしまった。運転者は止まれ・走れ・曲がれ、を指示する。残りは車が全部やってくれる。でも、何か変なことが生じた場合、運転者が取れる反応は限られたものになってしまう。選択肢が減るということは、選択する機会が減る、ということだ。選択する機会が減る、ということは、車の中で何が起きているかを学ぶ機会が減る、ということだ。結果として、運転者達は簡単な問題に対しても呆然として対処できなくなってしまう。



そんなことはないだろうって? 例のフロアマットが原因とされる炎上事故が起きた際、トヨタは「アクセルペダルがひっかかった際の対処方法」という説明を発表しなければならなかったんだよ。いつの時代から、エンジンの緊急停止方法という簡単な手順をわざわざ解説しなければならなくなったんだ? そもそもエンジンの緊急停止ってそんなに複雑な作業か? (ちなみにトヨタVenzaのような車のエンジンを緊急停止するには、始動ボタンを3秒間長押しすればよい。同時にパワステも解除される。18輪トレーラーと正面衝突するような局面では間に合わないかもしれないけどね)



あなたの車が暴走を始めたらどうすればいい? 答は簡単: ギアをニュートラルに入れれば良いのだ。これなら車の制御を維持できる。アクセル全開のままなのでエンジンは限界まで回って壊れちゃうだろうけどね。だがこの方法も問題がないわけじゃないんだ。最近の車は、簡単にはギアがニュートラルに落ちないような機構がついているのが普通だ。そして、この迂回方法を知っている人もまた少ない。使う機会が少ないからだ。(以前、大の大人二人がMazda 3を路肩にエンコさせているのを見たことがある。彼らはその車がオートマニュアルモードになっていることも、どうやってシフトするのかも知らなかったのだ)



スティーブ・ウォズニアックプリウスの件? たぶん彼は電波式クルーズコントロールがどうやって動作するのかわかってない。要はややこしい電子式デバイスの問題だ。そしてウォズニアックは近代コンピュータを作り出した一人でしかないのだ。プリウスのブレーキも同じような話だ。報道が正しいのであれば、あれはブレーキが発電モードから油圧モードに切り替わる一瞬の遅延のことだ。これが許せないって? 古い車のブレーキはもっと気まぐれだったのだよ。でも、報道によればこのプリウスのブレーキで何百件もの事故が起きているんだってさ。



繰り返すよ。凡庸さとか、技術の複雑さという点では、トヨタだけが被告人というわけではない。アメリカで売られている大量生産車の殆どは、プリウスからポルシェまで、どれもが複雑な電子制御システムを備えている。そうしないと政府の規制に通らないし、社会はこういう安全機構を要求しているんだから。でも違いはその実装にある。ポルシェ911のブレーキは、フィードバックと効きの両方が得られる。でも、プリウスのブレーキはひたすら発電するのが目的で、それを踏んでいる運転者はEd Begley Jrの宇宙船を遠隔指示しているような感覚しか得られないのだ。



トヨタが抱える課題はソフトウエアの問題であり、設計上の不良ではないのかどうかにみんなが興味を持っている。私達Jalopnikは、ソフトウェアの問題かもしれない、と思っている。近代の無個性自動車は、運転者から色々な作業を奪い取り、それをソフトウェアで実現しているわけだから。


感想はMatt Hardigreeまで。 matt@jalopnik.com.

  • 赤字強調はmasayangによる

追記

  • 技術屋のはしくれとしては、今回の件でトヨタ「だけ」を責めるのは酷だと思う。
  • 記事にもあるように、車がより安全になることは否定しない。
  • 以前、ミンスキー理論の話を書いたけど、今回の件もあれに通じるものがあるのではなかろうか。
  • 車がより「安全」を提供してくれるがために、利用者は「何が危険なのか」を考えなくなる。
  • その「何が危険なのか」わからなくなった利用者達が騒いだ(そして一部の運転者は本当に事故った)結果が、今の状況ではないかと。
  • 映画Idiocracyの世界にどんどん近づいている...