金融イノベーションという幻想

2008年ブッシュ政権末期に鳴り物入りで登場したTARP:Troubled Asset Relief Program。そのTARPは政府による金融機関(および一部の製造業)支援政策であり、資金を提供する納税者は管理監督する権利がある、ということで設立されたのがSIGTARP=Special Inspector General TARP。Unix/LinuxのSIGなんちゃらとは関係ない。

そのSIGTARPによる四半期報告書がPDFで公開されている。

全部で100ページ以上もある分厚いものだが、要点は最初のほうにまとめられている。まあ、議会報告書なんてそんなもんでしょ。まず目を引くのはこの表。単位は兆ドル(笑)。

これはTARPに投入された資金の出所とその残高だ。2008年9月の下院で揉めに揉めたTARPの予算は7000億ドルだった。が、SIGTARPの資料によれば2009年上半期での総額は3兆ドル。今年の上半期が終わった時点での総額は3.7兆ドル。

7000億ドルというのは財務省が拠出した額であり、実際にはFRBやFHFA/FHAといった住宅関連期間、さらにはFDICなども巻き込んでいたのね。これらの3.7兆ドル全てが損失になる可能性は限りなくゼロに近いだろうけど、納税者は「最悪」3.7兆ドルを負担させられるということになる。

そしてこの総額は1年で0.7兆ドル(7000億ドル)も増えている。オバマ政権はこの6月に「TARP資金返済は順調」という発表をしていたが(ロイター記事)それはあくまでも財務省枠であり、全体としては支援額は増えていたのだ。

日本はバブル崩壊後長い長い不調に陥る一方、アメリカは急速に経済回復しており、しかも金融機関の収益回復は驚異的だ、などという記事を時々見かけるが、それは幻想でしかない。米国金融機関は「利益は俺のもの、損失は納税者のもの」という独自世界を築いたから、V字回復のような真似ができるのだ。

例えばBank of Americaが発表している貸出債権の延滞状況をみてみよう。

  • FHA非保証住宅ローンの30日以上延滞額*1は55.48億ドル。(5000億円)
  • FHA保証住宅ローンの30日以上延滞額は225.36億ドル。(2兆円ちょっと)


そしてFHA保証ローンの延滞は2009年後半から急増している。FHAがMaking Home Affordable Programという3.5%頭金ローンの保証を始めたのは去年の夏(参考: NOHO)。このローンで住宅購入した人たちの相当数が返済不能に陥っている可能性が高い。初回住宅購入支援政策の8000ドル税戻しを頭金に回せば結構な額のローンを組めたわけだし。

見方を変えれば、FHAのこんな保証がなければこれらの人たちは住宅購入を決断しなかったわけで。もっと正確に言えば、購入しようにも買えなかった、が正解。だけど、Bank of AmericaはこういうNOHO層(本来は家を買ってはならん人)に住宅ローンを組ませ、ちゃっかりと手数料収入を得ている。もし証券化や保証がなかったら、これらのローンは本来はバンカメのバランスシートに乗っていたわけで、その場合にはバンカメは不良化した債権を損失計上するか、普通株発行等で資本を膨らませる必要があったはず。

同様な構造は金融業界全体に及んでいる。SIGTARPが指摘する「この1年での支援7000億ドル増加」は金融機関の「負債の部」がそのまま納税者のツケに回っているだけと思ってよいだろう。これがなかったら金融機関は潰れていたか、株式発行による巨額資金調達で経営陣が一層されたかしていたはずであり、多額ボーナスどころではなかったはずである。

アメリカの金融機関は「金融イノベーション」で業績回復したのではない。「投資失敗の損失はその当事者が被る」という原理原則を捻じ曲げているだけなのである。

おまけ: SIGTARP報告書

最初に取り上げたSIGTARP報告書のP24〜P26あたりに、TARP資金を受け取った企業やPPIP*2におけるコンプライアンス遵守に関する記述がある。ぐだぐだと政治文書的に書かれているけど、乱暴に解説すると:

  • TARPによる特別支援を受けている企業(AIG, Citi, Bank of America, GM, GMAC, Chrysler)に対する規定決定が遅すぎる。実質、なんの規定も確定せずに巨額の資金を投入したことになる。また、各種規定の決定やその遵守管理は実質上「受け取り側」企業が決めている。
  • PPIPに関するコンプライアンス規定は未だに確立されていない。

→何百億ドル(数兆円)の血税で支援してもらう企業がその支援ルールを自分で決められるなんて、なんて素敵な世界なんでしょ(棒読み

*1:30日延滞から返済不能に陥る可能性は高い。雇用情勢が回復しない限りこの傾向は変わらないだろう。

*2:そんなのもあったねぇ