なぜ私はPaper.liにイラつくのか?

Paper.liというサービスがある。
Paper.li - read a Twitter stream as a daily newspaper Paper.li - read a Twitter stream as a daily newspaper
現時点ではてぶが431個ついているから、そこそこ注目を集めているらしい。ぐぐって見ると自分の発言・記事が取り込まれ始めたのは去年の10月初旬あたりから。なんか知らない人からmentionが来ておそるおそるリンクを踏むと...ごちゃっとした配置の新聞風画面が。で、俺がどこにあるのかと探してみると、あんまりコンテキストと関係ないところにひっそりと。手の込んだスパムだなー、と思って最初の頃はかたっぱしからTwitterでブロックしちゃいましたよごめんなさい。

まあ別に害はないし発言や記事を取り上げていただけるのは嬉しいことなんだけど、paper.li利用者が増えてくるとなんかイライラするようになってきた。で、このイラつきはいったいなんなのだろうと考えてみると...
新聞の体裁をとっていることに尽きるのではなかろうか。新聞ではないのに。

新聞なら、せめて毎日きちんと発行してほしいし、編集者・記事の立ち位置というかポリシーを明確に打ち出して、「ヨレない」中身で継続させてほしいのだけど、そういう思いはPaper.liだと中々伝わらないでしょ。だって気軽に誰でもリスクなしで始められるんだもん。ということは撤退リスクもゼロ。購読者数も気にならないし、気軽に簡単に休刊・廃刊できる。ブログと大差ない。

そして読者にその存在を知らせる方法は「Twitterのメンション」というスパムと紙一重の手段しかないのが現状。「あなたのTwitter発言かブログ記事を弊紙に掲載したので読んでください」というお知らせが来たので読みに行ってみたらつまらない俺の記事が、やはり死ぬほどつまらない他の記事ともども、どうしようもないくらい見にくい構成の中に埋まってかろうじて載っていた、というのではまず購読の継続はありえない。

しかもそういう手合いが次から次へとやってくると、もう「◯◯ news is out! (url) Top stories via ...」なんていうメンションは無視されるようになる。

もういいよPaper.li

もうこれだけ情報を発信し、検索する手段が色々用意されている中で、自分のお気に入り記事を敢えて編集して発行する意味がどれくらいあるのだろう。もちろん、皆無とは言わない。主義・方針が合致している読者をつかむことも可能だろう。だけどその道を選ぶのであれば「日々刻々と更新できるか」「スパムな手段を用いずに読者を獲得できるか」が鍵だろう。

というわけで、「もういいよPaper.li」