Agileの現状に対する漠然とした不安

去年のAgile2009では漠然としか感じていなかったのだけど、今年のAgile2010ではその不安がより確実になってきた。去年はCode Smellのたとえで言えば「どこかでタバコ吸ってる人がいるな」くらいの感覚だったのが、今年は「同じ部屋でタバコ吸ってるバカがいるぞ」、みたいな。

ただしCode Smellみたいなものなので、何かおかしいぞ、という程度の感覚でしかないのも事実である。

その漠然とした不安を抱かせる要因は何かというと「Agileコモディティ化」なのであります。

自己紹介に「Certified Scrum Masterです」と説明を入れたり、「アナーターハーCSMデースカァー?」みたいな質問をしてきたりする人が今年は昨年よりも確実に目立つ。

あるいは...「わが社は自分では作りません。計画管理と実装は、コントラクタ(契約ベースで請け負う別会社)に任せてます。」みたいな丸投げAgile事例とか、「見積もりと計画方法を標準化すれば、それに沿って実装をする部分はコモディティ化できる。つまり、一番安い所に任せられる」みたいな事例の発表。今日だけでそれぞれ1件あった。

これらはAgileの「コモディティ化」の象徴でもある。そしてコモディティ化Agileの思想である「職人主義」の対極だ。この対極から漂ってくる「異臭」が、自分には気になって仕方ないのである。

でも、こういう「Agile本来の思想を否定したAgile」が増えてくるのであれば、それらは失敗するか、恐ろしく苦労するかのどちらかではないだろうか。そしてその路線を敷いた人はAgile本来の思想を理解していない可能性が高いので、Agile路線を失敗の原因にするのではないか。そういう人達の声が大きければ、Agileコミュニティ全体にゆり戻しが及ぶのではないか。

単なる気のせいかもしれない。心配しすぎなのかもしれない。あるいは「気付き」を重視するAgile路線なら、そういう「失敗で学ぶ」という選択肢もあるべきなのかもしれない。

でもやっぱり心配なんだよね...

追記

今日参加したコマで、「ウォーターフォールからAgileに移行する際に問題があったらどうするか?」という議論があって、一人は「ウォーターフォールに戻す」と断言していた。彼は「Agileは技術論ではなく、経営論」という論調の典型的な管理職系。

失敗の分析を行い、次はどうすればいいのかという過程を繰り返す文化を根付かせないと、Agile普及はいったん足踏みするかもね。